参宮木札について
あなたとつなぐ参宮の証
お伊勢参りが一生に一度の夢であった江戸時代、参宮客の持つひしゃくを目印に、伊勢の人々は「施行」として旅人をもてなしました。そのおもてなしのこころは今も昔も変わりません。
現代ではひしゃくの代わりに「参宮木札」をご用意しています。この木札を身に着けて、伊勢神宮のおひざ元ならではの、施行(おもてなし)のこころに触れてください。
参宮木札「氣」(き)
神宮で感じる「氣」の力
神秘に漂う自然の力…「氣」の中に「米」の字があるように、お米は全ての元気の源なのです。健康で、神宮にお参りできたことを、神様に感謝しましょう。
参宮木札「常若」(とこわか)
(施行玉5個付)
神宮で感じる「常若」の力
再生を繰り返す終わりのない場所…
清々しい気持ちになれるのは、神宮が常に新しい力のみなぎる場所だから。日々の営みを見守り、我々に明日を生きる活力を与えてくださる神様に感謝しましょう。
蘇民将来の神話
神話の時代、巨旦将来(こたんしょうらい)と蘇民将来(そみんしょうらい)の兄弟が住んでいました。ある日旅の途中、牛頭天王(ごずてんのう)が一晩の宿を求め二人の住む場所を訪ねると、兄の巨旦は牛頭天王の貧しい身なりを見て断りましたが、弟の蘇民は快く受け入れ自分の食事や寝床を提供しました。牛頭天王は蘇民のもてなしに感銘し、旅立つ際に身分をあかし、蘇民の家の守護を約束しました。後に、巨旦の家は流行り病で断絶しましたが、蘇民の家は末長く平穏無事に過ごしました。このことから、伊勢の地では「蘇民将来子孫の家」と書かれた木札を正月のしめ飾りに付け、「厄除け」「疫病除け」として一年中飾る風習があります。
参宮と参拝について
「参宮」と「参拝」同じような意味合いを感じ、聞きなれた言葉。しかし、それぞれに意味があります。
広辞苑では、「参拝」とは社寺に参って神仏を拝むこと、「参宮」とは神社に参詣すること。特に伊勢神宮に参拝すること。そして、ここでもうひとつ気になるのが、「神宮」。伊勢の神宮のことを「神宮」と呼びます。東京大神宮は東京大神宮。明治神宮は明治神宮と呼び、神宮とはいいません。
伊勢は二千年以上の間、人々が手を合わせ祈り続けているところです。ここに来る人々を参宮者といいます。